「物乞いとの付き合い方(後編)」
喜捨することに対して、物乞いのためにならないという考え方が
ありますが、それは、少しおかしいと思います。
物乞いのためにならないと言いますが、いったい物乞いのために
どこまで考えているのでしょうか?
彼らの職探しを真剣に手伝ってあげるわけでもないでしょうし。
別に、物乞いのことなんて本当はどうでもいいんじゃないでしょうか。
どうでもいいのに、物乞いのためにならないと言う発言は、
おかしく感じます。
自分自身の、ただあげたくないという気持ちを隠すために、
物乞いのためにならないと言い訳をしているように聞こえます。
また、物乞いに喜捨をするという行為が原因で、
物乞いは働かなくなるいう考え方がありますが、
それも少しおかしいと思います。
例えば、今やっている自分の仕事をやめて、ラーメン屋を起業してくれと
言われたら、簡単に始めることができるでしょうか?
ほとんどの人がそんなことはしないと思います。
めんどくさいですし、失敗したら大損ですから。
資金のある日本人でさえ、他の仕事を始めるのは、難しいのですから、
資金のない物乞いには不可能と言わざるえないでしょう。
しかも、ほんとうに仕事がない場合もあります。
周囲の環境が働くことを許さないのかもしれません。
それに、生まれてきたときから、
物乞いとして洗脳されてきている訳ですから、
「最近は、裕福な人がお金をくれなくなってきたから、
そろそろ本気を出して働こうか!」
とは、絶対に思わないでしょう。
お金がもらえないなら、ただ、飢え死にするだけだと思います。
単に観光にきただけの旅行者が、喜捨しないことによって
事態を変えられるほど、あまい話ではないかと思われます。
また、物乞いを操っているマフィアの資金源になるから、
あげないという考え方もありますが、
ほんとにその理由であげないんでしょうか。
これも、他国のマフィアとか、そんなの、本当は、
どうでもいいんではないでしょうか。
ただ、お金をあげたくないだけではないんでしょうか。
それに、物乞いがマフィアとつながってない可能性だって大いにあります。
その可能性も分かっていながら、一事が万事のように、マフィア、マフィア
というのは少しおかしいかと思います。
あと、物乞いに喜捨しててもキリがないし、喜捨してもキリがなくて、
どうせ事態を変えられないという考え方もあります。
ですが、それを、言い訳に全く喜捨しないというのも変な感じです。
別にあなた一人で事態を変えてくれといっているわけではありませんから。
金が惜しいのではないのであれば、目の前の困ってる人を
ただ、助けてあげればいいんじゃないでしょうか。
そして意外と多いのが、喜捨することが、偽善だとか、偽善じゃない
とか考えることです。ですが、そんな小さいことは、どうでもいいことです。
その喜捨で助かっている人がいるわけですから。
だらだら、書きましたが、金品をあげようがあげまいが、
それは個人の完全な自由ですので、
それについて意見する気は、全くもってないです。
ただ、あげたくない理由をあれこれつけて、
さも自分は物乞いのことを考えているという風に、
正当化するのは見ていてウソ臭い感じがします。
「財布から金を出す作業がめんどくさいから、
物乞いにあげる金がもったいないから、
オレはあげないんだ」
と、堂々としていればいいと思います。
つまり、喜捨というものは、善意はもちろんあるけれども、
結局は、余ったお金を人にあげるということにつきると思います。
そこに、偽善、偽善じゃないという考えは必要ありませんし、
喜捨してえらい、えらくないという考えも必要ないと思います。
今、お金が余ってるか、余ってないかだけだからです。
ポケットに、10円あまってたから、必要な人にあげよう。
今、あまってる金がないから、あげられない。
この感覚でいいと思います。
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